旅好きのみなさんこんにちは。
四国のakiponです。

3月のスリランカの旅日記を続けます。
通常モードに戻って
私が直に触れて感じたリアルなスリランカを
いつものトーンでお伝えしたいと思います。

ここまでのストーリーも
よかったらご覧くださいね。

ぬいの休日
    -スリランカで笑いヨガをやってきた!

スリランカは日本と深いつながりのある国だった。
スリランカ -愛と感謝と笑いの旅!
スリランカで笑いヨガ:その1
    -小さな村の小さなお寺

スリランカで笑いヨガ:その2
    -感涙。新年の祭典で歓待を受ける。

スリランカで笑いヨガ:その3
    -綱引き、笑い、謎の踊り子?

スリランカに祈りを。 Pray for Sri Lanka.



今回の旅のそもそもの発端は
スリランカにお礼を言いたいということでした。
jayewaldina
Daily News lk

ブッダの言葉をスピーチに引用し
戦後の日本を救ってくれた
ジュニアス・リチャード・
ジャヤワルダナ元大統領の記念館が
最大都市コロンボにあります。
entrance
彼が若い頃に過ごした場所だそうです。

建物は住宅やオフィスビルが並ぶ中にあって
看板などはなく目立ちません。
entrance (2)

ジャスミンに似た花。何だろう。
hana

警備員さんがいる入り口を入ると
ホワイトボードに日本語の案内が。
businesshour

外国からの寄贈品などが展示されていて
ガイドさんが案内してくれました。
museum

ジャヤワルダナ大統領が行った
国際会議のスピーチ原稿や
外国との平和協定の資料などもあります。
genkou

スリランカの首都の名は
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。
元大統領の姓が含まれています。
shouzouga
スリランカは1977年に建国し
翌年に彼が初代大統領となります。
姓のジャヤワルダナには
「勝利をもたらす」という意味があるそうです。

1983年に、首都が
コロンボからコッテという古都に移りました。
そこはかつて、大統領の名と同じ
「ジャヤワルダナ」と呼ばれていたことから
「輝く勝利をもたらす街・コッテ」という意味の
スリ・ジャヤワルダナブラ・コッテと
名前を変えたんですって。

これが有名な演説に使われたことば
「憎しみは憎しみをもって止まず
愛をもって止む」
butlove
会議は1951年9月でしたから
そのあとで書かれた色紙のようです。
ご本人の直筆でしょう。
すごく丁寧に書かれた文字ですよね。

この演説で会議の流れが変わり
日本が国際社会に戻る道筋ができたと言われます。
これがなければ、もしかしたら
日本は違う道を歩んでいたかもしれません。



奥のドアから出ると中庭があって
振り返ると建物の全貌が見えました。
イギリス植民地時代に建てられた感じ?
(建築にうとくてすみません)
building

そしてそのまま中庭を歩くと
「いらっしゃいませ」と書かれた建物が。
nihonkaikan2

ジャパニーズ・ミュージアム
日本会館です。
こちらは日本人だけが入館できるとのこと。
普段は鍵が閉まっているそうです。
nihonkaikan
スリランカの文字って
くるくるでとてもかわいいと思うんですが
この日本語もなんだかかわいい。
漢字ってバランスとるのが難しいもんね。

エントランスに元大統領の胸像。
kyouzou

日本との交流が分かる品々が
数多く展示されていました。
昭和天皇と皇后さまのお写真がある。
菊のご紋と直筆のお名前入りです。
shouwatenno
ジャヤワルダナ氏は、何度も来日したり
日本の仏教関係者をスリランカに招待したりして
日本とスリランカの交流に尽力されたそうです。

1991年の来日時に
広島の原爆資料館で記帳されたんですね。
hiroshima

日本の仏教伝道協会からは
仏教伝道功労賞が贈られています。
bukkyo
「あなたは “この世の中では
怨みは怨みをもって決して静まるものではない”
という法華経を引用され
対日賠償を放棄されました。
このことは当時の日本人に
大きな希望を与えました」



元大統領は1996年に他界。
スリランカと日本の行く末を見守りたいと
両国への献眼を申し出ていました。
彼の死後、片方の目はスリランカの方に
もう片方は日本の方に贈られて
角膜が移植されたそうです。
shouzouga2
また、形のあるものを残すなという強い希望から
現地には彼のお墓はなく
銅像も建てられていないらしい。
この記念館にある胸像と
東京、鎌倉、長野に
日本人が建てた銅像があるそうです。



サンフランシスコ講和会議は
日本の領土問題や
賠償責任を問うものでした。

が、はずかしながら
私は何も知らなかったため
帰国後にちょっとだけ勉強しました。

1951年9月
サンフランシスコにおける会議で
「日本国との平和条約」に各国が署名し
翌1952年4月28日に発効。
これをもって日本は米国の管理を離れ
主権を取り戻したということになります。

しかしこれと同時に
「日米安全保障条約」にも署名され
沖縄・奄美・小笠原が
米国の管理下に置かれました。

それから
会議には、日本から
吉田茂元総理(当時の外務大臣)が出席し
やはり演説をしています。
この時に元総理は
外務省が準備した英語の原稿を書き直し
日本語で演説されたそうです。
japanesemuseum
なぜ日本語に差し替えたか?
白洲次郎という方がでてくるのですが
そのエピソードはぜひ調べてみてくださいね。

余談ですが
私のパスポートの署名は漢字です。
海外のホテルやお店でサインが必要な時は
日本で書く時と同じ漢字で書きます。
日本人だから。
この吉田元総理と白洲氏の話を知って
もっと日本語を使おうと思いました。

日本の外に出るたびに
日本のことを深く知るようになります。
今回は、今まで以上に
日本人であることを強く意識し
日の丸や君が代や日本語を
もっと丁寧に扱おうと思ったのでした。
ご縁に感謝します。


J.R.Jayawardene Centre
http://jrjc.lk/

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今日も読んでくださってありがとうございます。
よい一日を



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